7月1日(土) 21:00〜21:54の【出没!アド街ック天国】は『田無』特集です。
○紹介概要
・青梅街道は江戸時代初頭に青梅の石灰を江戸城に運ぶために整備された。田無はその石灰 御用を務めた。
・1700年頃に田無用水が完成し、青梅街道筋での生活が安定した。
・嘉永4年(1707)に石灰輸送は新河岸川の舟運によることになった。その後、青梅街道は西武蔵・多摩地方の物資を江戸へ運ぶ交通路に変わり、江戸時代半ばごろから田無は宿場町として発展した。
・青梅街道の両側に整備されている散歩道「やすらぎのこみち・ふれあいのこみち」は、かつてそこに田無用水が流れており、昭和40(1965)年、暗渠になった。
・田無の地名の由来は、田んぼが無かったから田無になった説が有力。
・2001年、田無市と保谷市が合併し、西東京市学園誕生。かつて、昭和42(1967)年に両市はそれぞれの市政を施行した。それ以前は、市政施行には人口5万人以上を要したため両市間で合併協議が進められたが、その後の合併の特例に関する法律の施行で3万人以上と変更されたため、合併協議は中止となった・・・などなど・・
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